福岡アジア文化賞
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ムハマド・ユヌス氏講演会
ムハマド・ユヌス氏講演会
バングラデシュの貧困な農村女性を対象に、独創的無担保小口貸付を実現すべくグラミン銀行(村落)を創設し、開発と貧困根絶という現代的課題に挑戦し続ける現代的経済学者、ムハマド・ユヌス氏。貧困や環境など社会問題に取り組む「ソーシャル・ビジネス」で世界中から脚光を浴び、2006年にはノーベル平和賞を受賞されました。そんなユヌス氏ですが、我がアジア文化賞ではノーベル平和賞に遡ること5年、2001年にその業績に注目し大賞を授与しています。

今回は、そのムハマド・ユヌス氏を福岡にお招きし、現代社会の問題に対してさまざまな提言を行っていただきました。
冒頭では、九州大学アシル・アハメッド氏と大杉卓三氏がスライドを使って「ユヌス氏とグラミン銀行の取り組み」を紹介。その後、ムハマド・ユヌス氏による基調講演、九州大学副学長の安浦寛人氏、アシル・アハメッド氏を加えた3人での対談が行われました。そして最後は、グラミン銀行と九州大学の共同ラボ設立検討のための覚書が締結されました。
対談中のムハマド・ユヌス氏安浦寛人氏、アシル・アハメッド氏との対談共同ラボ設立検討のための覚書を交わす3人
第1部/ムハマド・ユヌス氏による基調講演
  • 開催日/2009年9月27日
  • 会場/都久志会館大ホール
  • 参加者/500人

基調講演を行うムハマド・ユヌス氏グラミン銀行は今、月に約1億ドルの貸付をしています。あらゆる農村に支店をもち、800万人以上に融資を行っています。その97%が女性で、多くは読み書きができませんが、その子供たちは全員就学しており、奨学金や教育ローンを活用して高等教育を受けている者も少なくありません。貧困は貧しい人が作り出したものではなく、周囲を取り巻く制度が作り出したもの。能力に差はなく、機会さえ与えられれば貧困から脱することが出来るのです。
担保のない人たちも、銀行から融資を受けてお金と信頼を手にし、借りたお金を返済しながら生きていけます。従来の金融制度は、世界人口の3分の2を占める貧困層への基本的サービスを否定し、融資の道を閉ざしてきました。このやり方では、貧富の差は広がるばかりです。
今こそ世界全体の金融制度を見直し、グラミン銀行が実践してきたマイクロ・クレジットという新しいプログラムで社会問題を解決していこうではありませんか。
第2部/対談
  • パネリスト/安浦寛人氏(九州大学理事・副学長)
  • パネリスト/アシル・アハメッド氏(九州大学大学院システム情報科学研究院特任准教授)

貧困の解消のために、私たちはどんな社会をつくればいいのか・・・そんな重い課題についての対談でしたが、ユヌス氏の熱いメッセージとパネリストの分かりやすい解説に参加者たちも真剣そのもの。対談後は、「もっと素晴らしい世界をつくることが夢なので、とても大きな力になりました」「ビジネスの本質を教わった気がして、これからの生き方を考えさせられました」との力強いご意見が市民の皆さまからもあがりました。
熱心に耳を傾ける市民の皆様パネリストの安浦寛人氏パネリストのアシル・アハメッド氏
より詳しい「ムハマド・ユヌス氏講演会」の内容は、講演録ページよりPDFをダウンロードしてご覧いただけます。
ムハマド・ユヌス氏プロフィール
ムハマド・ユヌス氏1940年バングラデシュ・チッタゴン生まれ。
バングラデシュの貧困な農村女性を対象に、無担保で少額の融資を行うグラミン(村落の意味)銀行を83年創設。貧困からの脱却と女性の経済的自立を支援する有力なモデルとして世界に大きな影響を与え、2001年に福岡アジア文化賞「大賞」を受賞、06年にはグラミン銀行とともにノーベル平和賞を受賞した。
より詳しいムハマド・ユヌス氏のプロフィールは「これまでの受賞者紹介」ページまで

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アジア映画監督作品上映会&フォーラム「スクリーンを通してみたNIPPON」
アジア映画監督作品上映会&フォーラム
日本映画の黄金時代は、日本映画がアジア各国へ盛んに輸出された時代でもあります。台湾、香港、フィリピン、タイなどの映画館で小林旭や石原裕次郎がスクリーンの中でまぶしく輝いていました。アジア映画の台頭を支えている映画監督たちもまた、それぞれの育った町で日本の映画をみてきました。彼らにとって日本映画の魅力はなんだったのか、そしてその映画の記憶は彼らの作品にどのような影響を及ぼしているのでしょうか。

アジア映画監督のなかから今回は、世界的にも有名な台湾/侯孝賢(ホウ・シャオ・シェン)監督、香港/アン・ホイ監督を福岡へお招きしました。福岡アジア文化賞20周年記念事業『アジア映画監督フォーラム スクリーンを通してみたNIPPON』と題し、映画評論家の宇田川幸洋氏、東京国際映画祭「アジアの風」部門プログラミングディレクターの石坂健治氏とともに、日本映画談義を繰り広げます。両監督にとっての日本映画とは、またその魅力について自由に語っていただきました。
第1部/侯孝賢監督上映作品「珈琲時光」
珈琲時光日本を代表する映画監督のひとり、小津安二郎の生誕100年を記念して撮られた映画。敬愛する小津安二郎監督へのオマージュとして、小津作品に想を得た世界観を、独自の視点で描いた作品。 2003年の東京を舞台に、フリーライター・陽子を中心に、何気ない現代人の日常を描き出す。人気歌手の一青窈(ひととよう)、俳優浅野忠信が出演したことでも話題に。
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侯孝賢監督小津安二郎監督へのオマージュ、現代の「東京物語」と考えてもらえれば。じきに嫁ぐであろう娘と父との関係を描いた作品で、日本はもとより海外で撮影した初めての作品。映画は、細かな生活のエピソードを表現するものと思っているので、親しみのない国では撮りづらい。そういう意味で撮影地に日本を選んだ。とはいえ、日本語もわからず日本の生活習慣にも明るくないので、細かな演出をするのではなく、リハーサルなしのぶっつけ本番という手法をとり役者の自然な演技を引き出すことにした。

より詳しい侯孝賢監督のプロフィールは「これまでの受賞者紹介」ページまで
第2部/アン・ホイ監督上映作品「生きていく日々」
香港郊外のニュータウン天水圍に暮らす母子と老女の日常を淡々と描く穏やかなドラマ。 退屈な日々の生活をリアルに描き、そのなかに垣間見えるちょっとした悲しみや喜びをうまくすくいとって見せた作品。 香港映画のイメージを刷新するアン・ホイの円熟が際立つ。昨年のアジアフォーカス福岡国際映画祭、今年の東京国際映画祭でも上映され、静かな感動を呼び起こした。
アン・ホイ監督これは、7〜8年前に私の生徒がストーリー・脚本を書いたもので、それに基づいて撮った作品。実際にニュータウン天水圍に行って撮ったのだが、普通に生活している雰囲気を表現したかったので、主な登場人物以外は実際にそこで生活している一般人をエキストラとして使用した。小津安二郎監督と表現方法が似ているが、日常の何気ない日々を積み重ねて、且つ映画として観るに耐えうるラインを見極めて作ったのがポイント。

より詳しいアン・ホイ監督のプロフィールは「これまでの受賞者紹介」ページまで
また、アン・ホイ氏が大賞受賞した「第19回アジア文化賞授賞式」もあわせてご覧下さい。
映画フォーラム「スクリーンを通してみたNIPPON」
  • 開催日/2010年1月27日
  • 会場/イムズホール
  • 参加者/400人
  • ゲスト/宇田川幸洋氏(映画評論家)
  • 司会/石坂健治氏(東京国際映画祭「アジアの風」部門プログラミングディレクター)

東京でもめったに見ることができない夢の組み合わせとあってか、会場は満員御礼。九州各地から熱心なファンが、詰めかけました。日本と深いつながりを持つ両監督だけあって、昔のコアな日本映画から最近のアニメに関するものまで、内容盛りだくさん。新作についてのお話や侯孝賢監督の岩下志麻好きエピソードなど、ここでしか聞けない話で大盛り上がり。ユニークな視点で日本映画を語る両監督の話に、会場は終始笑いにつつまれました。
満員御礼の会場対談する宇田川幸洋氏対談する石坂健治氏
子どもの頃の日本映画体験
侯孝賢監督
台湾・高雄の近くに住んでいた9歳頃に観たのが初めての日本映画体験で「三日月童子」という子供向けの映画だった。その後は宮本武蔵や里見八犬伝などのチャンバラものや、四谷怪談などのホラーものから黒澤明まで幅広く観ていた。当時は日本映画という視点で観ていたわけではないが、雰囲気も言葉も台湾に似ていたので入りやすかったのかも。小津安二郎作品については若い頃は退屈だと思っていたが、「冬冬の夏休み」を撮る頃には良さが分かり始めた。
アンホイ監督
1958年に観た「氷壁」が初めての日本映画体験。当時、香港ではモノクロ映画が主流だったので、その映画でみたカラーの美しさに圧倒された。また「香港の夜」も印象に残っているが、演技云々というよりも女優の衣装の美しさや色表現のすばらしさに感動したのを覚えている。その後は黒澤明の作品にはまり、彼の作品はほぼすべて観ている。小津安二郎との出会いは大学に入ってから。当時は若かったためか、退屈で途中で寝てしまった(笑)
日本での映画撮影
侯孝賢監督
初めて日本で撮ったのが、本日上映された「珈琲時光」。日本でというより海外で撮影した初めての作品。先にも述べたが、映画は細かな生活のエピソードを表現するものと思っているので、親しみのない国では撮りづらい。そこで、細かな演出をするのではなく、リハーサルなしのぶっつけ本番という手法をとり役者の自然な演技を引き出すことにした。また、山手線が大好きでどうしても撮影したかったが、撮影許可が下りないだろうと思ったので、無許可でサッと撮った(笑)。別の映画でも交番のそばで撮影したが、警官は見てみぬふりをしてくれた。 厳しい反面、そういう寛大な一面もある社会だと思った。
アンホイ監督
初めて撮ったのは、九州を舞台にした「客途秋恨」。実母を題材にした映画で日本人の内面を深く描いた作品。撮影自体で印象に残っているのは東京など色々な場所で撮影した「極道追跡」。どこへ行ってもスムーズに撮影でき許可も比較的楽に下りた。人様の迷惑にならなければ大丈夫という、お互いを尊重する文化は香港では見られないので新鮮だった。
対談する侯孝賢氏熱心に耳を傾ける市民の皆様対談するアン・ホイ氏
映画について
侯孝賢監督
今回のフォーラムではアジア映画の脈絡がみえて大変興味深かった。と同時に、映画はどうしても政治や国交などの状況に左右される。しかし、私は文化は制限すべきではないと考えている。そういう意味でも、いろいろな映画を観て、様々な文化・価値観に触れることがとても重要であると考える。特に、子どもにはいろんなジャンルの映画を見せるべきだ。内容がわからないのでは?等と言わずに小さな頃からどんどん観せていくことをお勧めしたい。
アンホイ監督
映画は何よりも、まず自由であるべきだ。また、個人の趣味・嗜好、また監督の好き嫌いも大きく影響する。そのため、監督が直接観客と触れ合うことは、とても意義のあることだと考える。そういう意味で今回のフォーラムを通じてみなさんと交流がもてたことをうれしく思う。

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