福岡アジア文化賞
福岡アジア文化賞とは 第19回アジア文化賞受賞者紹介 第19回授賞式、市民フォーラムのご案内 第18回公式行事報告 これまでの受賞者紹介 講演録 候補者の推薦について リンク集
第19回福岡アジア文化賞受賞者
 
大賞 アン・ホイ
大賞
Ann Hui   /   許鞍華
映画監督
【香港/映画】
映画製作者会議に参加した
サンフランシスコにて(1991年)
香港演芸学院名誉会員
授与式にて(1997年)
『千言萬語』制作時の
香港ロケの様子(1998年)
  アン・ホイ氏は、現代の香港映画を代表する監督である。特にアジアの女性監督のパイオニアとしての功績は大きく、手がけるテーマの社会性、ジャンルの幅広さ、優れた演出力などの点で圧倒的な実績を残しており、世界の映画界の最も重要な人物のひとりである。
  アン・ホイ氏(本名:許鞍華)は1947年、中国・遼寧省鞍山で、中国人の父と日本人の母との間に生まれ、幼少時に香港に移住した。香港大学を卒業後、英国にて2年間の映 画専門教育を受けて香港に戻った。その後、武侠映画の巨匠キン・フー(胡金銓)監督の助監督を務めるとともに、テレビ・ディレクターとして数々のドキュメンタリーやドラマを手がけた。1979年に『瘋劫(ふうきょう)』(英題:ザ・シークレット)で映画監督としてデビュー。ツイ・ハーク(徐克)、パトリック・タム(譚家明)らの新鋭とともに“香港新浪潮”(香港ニューウェーブ)の旗手として創作活動を開始した。香港新浪潮は、ほぼ同時期に東アジア各地で巻き起こったニューウェーブとも呼応しあい、アジアの映画、ひいてはアジアの芸術・文化の興隆を世界に向かって強く発信することとなった。
  アン・ホイ氏の作風は、第一に、ベトナム難民をはじめとする時事的な話題から高齢者の孤独、認知症、ジェンダーまで、つねに“いま”を強く意識した題材を取り上げる点に大きな特徴がある。とくに越境、流浪、故郷喪失といった、香港人にとって極めて切実なテーマが、多くの作品のなかで中心的な位置を占めている。『客途秋恨(きゃくとしゅうこん)』では、越境と故郷喪失のテーマを自らの切実な物語として語っている。
  第二に、ホラー、コメディー、歴史叙事詩からラブストーリー、ホームドラマまで、特定のジャンルに固執せずに横断する幅の広さに特筆すべき特徴がある。実験的な映像表現を用いたホラー映画であるデビュー作『瘋劫(ふうきょう)』から、自らと同世代の中高年女性に焦点を当て、その日常生活を淡々と見すえた『おばさんのポストモダン生活』などの近作まで、どの作品においても高水準の演出力を発揮して豊かな感受性を体現するとともに、幅広い観客層から支持される平易な語り口と娯楽性を保っており、その点が卓越した才能の証左となっている。
  このようにアン・ホイ氏は1980年代から今日に至る香港映画の発展に多大な貢献をしてきたが、その作品は社会的な問題に鋭く踏み込み、内容の普遍性とそれを支える演出力の両面で、世界の映画人のなかでも特に高い評価を受けており、まさに「福岡アジア文化賞―大賞」にふさわしい。
●スペシャル対談 「映画と文学の世界」
アン・ホイ監督映画「おばさんのポストモダン生活」上映もあり
9月13日(土)13:30〜16:35/アクロス福岡イベントホール

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学術研究賞 グナセーカラ
Savitri Goonesekere
コロンボ大学名誉教授
【スリランカ/法学】
裁判所の法曹登録 父母とともに(1965)
家族の風景 (1970)
国連女性差別撤廃委員会の
各国代表と。
日本は多谷千香子氏(2000)
  サヴィトリ・グナセーカラ氏は、スリランカを代表する法学者であるとともに、高等教育改革に取り組む優れた教育者でもある。さらに南アジアにおける家族法、女性と児童の人権擁護とその法制史などに関する学術的な貢献をなしつつ、国際連合の諸機関やNGOなどにおいて実践的に活動する社会運動家でもある。学術研究と人権擁護の双方にまたがる境界領域において、後進の研究者や実践的な活動家の養成に努めるかたわら、社会的弱者の権利を守る運動に取り組んでいる。
  グナセーカラ氏は、1961年にセイロン大学(現ペラデニヤ大学)法学部を首席で卒業、法廷弁護士の資格を得る。1962年よりハーバード法科大学院に留学し、法学修士の学位を取得した。帰国後セイロン大学法学部の教員を経て、1977年から1982年までナイジェリアのアフマドゥ・ベロ大学法学部の講師として赴任する。その後、スリランカにおける通信制高等教育機関の設立に尽力し、成果として1983年に設立されたオープン・ユニヴァーシティの初代法学科長に就任、その後学部長、副学長代行を歴任する。そして、1999年にはスリランカで最も古い歴史を持つコロンボ大学の副学長(注)に就任。スリランカ初の女性副学長であり、学界や専門職を志向する女性の希望ともなった。この間、国連大学をはじめ世界各地の研究機関にしばしば招聘されるとともに、ILO、UNICEFなど国際機関の活動に専門家として助言。また、スリランカの代表的なNGOである女性研究センター(CENWOR)の理事を務め、草の根レヴェルでの女性の地位向上運動も担ってきた。
  グナセーカラ氏の主要な研究業績は、女性や児童の法的な地位や権利に関する分野であり、主著『児童、法律および正義:南アジアの視点から』(1998)は国内外で高い評価を受けている。同氏の社会的な活動は学術研究にとどまらず、植民地時代に制定された古い刑法が1995年に大幅に改正された際には、女性や子どもの権利擁護が実現されるよう尽力した。また、2004年のインド洋大津波に際しては、国連女性開発基金(UNIFEM)の資金援助により、沿海地方における被災女性の生活支援に力を尽くしている。
  このように、南アジア、とくにスリランカにおける女性と児童の法的な権利に関する学術的な研究と、社会的な弱者を守る活動の両面において、国際的に高く評価されるグナセーカラ氏は、「福岡アジア文化賞―学術研究賞」の受賞者にふさわしい。

(注) スリランカの大学では、大統領などが就任する名誉職的な学長(Chancellor)のもとに実質的な責任者として副学長(Vice Chancellor)が置かれるのが一般的である。


●国際人権セミナー
「アジア的価値観と人権」
9月14日(土)16:00〜18:00/アクロス福岡イベントホール
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シャムスル・A・B
Shamsul Amri Baharuddin
社会人類学者
【マレーシア/社会人類学】
学部生時代、パハン州のオランアスリの集落で(1972年)
マラヤ大学修士号授与式の後、
両親・兄弟姉妹と共に(1976年)
妻と子ども達と一緒に(1987年)
  東南アジアを代表する社会人類学者であるシャムスル・アムリ・バハルディーン氏は、典型的な多民族社会であるマレーシアが抱える民族間の融和、宗教対立の解消、貧困の軽減という課題を正面から取り上げ、学術研究、社会評論、教育活動の3つの分野で顕著な業績を挙げてきた。
  シャムスル氏は1951年、首都クアラルンプルに隣接するヌグリ・スンビラン州に生まれ、世界でも数少ない母系制社会で育った。マラヤ大学で人類学と社会学を学び、1983年にオーストラリアのモナッシュ大学で社会人類学の博士号を取得している。主著『英国統治からブミプトラ統治へ』(1986年)は、オイルパーム・天然ゴムの栽培を行うマレー半島西部の村落を調査地に選び、民族・宗教・政府の政策が複雑に絡むマレーシア政治の実態を、草の根レベルから初めて明らかにした。氏は「民族のアイデンティティ」(マレー人らしさなど)を、植民地支配の歴史、開発政治の展開、人々の日常の生活の3つから捉え直すことを提唱する。公文書館の史料を駆使した歴史研究、独立後の農村開発の展開を詳しく追った政策研究、村落での緻密なフィールドワークを見事に統合したこの本は、世界中から高い評価を獲得し、現在ではマレーシア研究の古典とみなされている。
  シャムスル氏の活動は学術研究にとどまらない。国立言語局の社会評論雑誌などを通じて精力的に社会問題を論じ、海外に対しては、BBC、ABC、NHKなど世界のマスメディアの要請に応じて、アジアの民族・宗教問題を熱く語ってきた。氏の活動の国際性は、ドイツ、デンマーク、シンガポール、アメリカ、日本などの大学・研究所が、こぞって彼を客員研究者に迎えたことからも分かる。同時に、彼は類まれな研究の組織者・教育者でもある。マレーシア国民大学(UKM)のマレー世界・文明研究所(ATMA)の再建、民族問題研究所(KITA)の創設、他民族理解を目的とする大学共通のカリキュラム編成などによって、民族問題の研究と教育の水準を著しく引き上げた。
このように、シャムスル氏は民族関係・マレー世界の研究を東南アジアにおいて一貫してリードし、人々の理解を深める上で多大に貢献したことで、世界的にも高い評価を獲得しており、まさしく「福岡アジア文化賞―学術研究賞」にふさわしい。

多民族・多文化社会、そして一つの<国民>:マレーシアの経験 
9月14日(日)13:30〜15:30/アクロス福岡イベントホール
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フォリダ・パルビーン
Farida Parveen
歌手
【バングラデシュ/音楽】
日本公演 楽屋にて(2002年)
日本滞在中に友人と(2002年)
演奏中 右は夫の
ガジ・アブドゥル・ハキム氏
  フォリダ・パルビーン氏は、ベンガル地方の伝統的な宗教歌謡バウル・ソングに新たな生命力を吹き込んで、現代に蘇生させるとともに、テレビや映画をはじめ、国際的にも活躍しているバングラデシュを代表する歌手である。
  フォリダ氏は、1954年に現バングラデシュ西部のナトールに生まれ、クシュティアで育ち、幼時よりインド音楽の基礎を学んだ。6歳から著名な音楽家ウシュタド・イブラヒムに師事して古典音楽を研鑽し、13歳の時からラジシャヒのラジオ局の歌手として活動を始めた。ベンガル地方では、古くから神と人の合一を説く教えが人々の生活に深く影響を与えており、その修行者であり、教えを歌って各地を流浪する吟遊詩人とも称されるバウルたちが活躍していた。その中でも、18〜19世紀における最高のバウルとされ、タゴールにも大きな影響を与えたラロン・フォキルが拠点としたクシュティアでは、ラロンを讃える祭りが毎年催されており、ここで歌われるラロン・ソングとの出会いによって、フォリダ氏はラロンの数多くの歌の収集や分類を始め、歌手としての活動を発展させていった。
  また、ラジシャヒ大学でベンガル文学を学ぶ傍ら、ラロン・ソング以外にも愛国歌、独立戦争などの歌を歌い、全国的な人気歌手としての地歩を築いてきた。LPレコードの出版をはじめテレビ・映画の歌手として活躍し、1987年にはエクシェイ・パドック賞(バングラデシュにおいて民間人に対し贈られる最高賞の一つ)を受賞し、1993年には、バングラデシュ国民映画賞の女性歌手(プレイバックシンガー)部門最優秀賞を受賞するなど、バングラデシュを代表する歌手として高い評価を得ている。さらには2002年の日本公演をはじめ、フランス、アメリカなど、国際的にも活動を広げ、バウル・ソングを世界に紹介している。
  フォリダ氏は、インド古典音楽を基礎にしながら、豊かな歌唱力によってバングラデシュの伝統的な宗教歌謡バウル・ソングの芸術的評価を高め、ユネスコの無形遺産のなかの世界遺産認定に導くなど、その価値の向上と国際的な普及に対する功績は大きく、まさに「福岡アジア文化賞―芸術・文化賞」にふさわしい。

ベンガル地方から世界に広がるバウル・ソングの夕べ
9月13日(土)17:00〜19:00/イムズホール
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